その境界線は
こんにちは、アルティメットまやです。
今日は某ホテルのディナービュッフェにて
蛸の解体ショーを見ました。
!CAUTION!
蛸とはいえ生き物の生き死にやその描写を交えた話をします!
苦手な方はご注意ください!
今の時代、生き物から食べ物へ変わる過程を見る機会はなかなかないので
とても貴重な経験でした。
生きている蛸、とても強い吸盤の力で係員さんに張り付きまくっていました。
からの、包丁で一撃で頭部を切り落とされ
それでも脚はうねるうねる
うねりまくる
そして、頭部を失った断面から、頭部を求めるかのように筋肉が隆起し、からだ全体が上へ持ち上がってきたのがとても印象的でした。
ちょっと泣きそうになりました。
そしてうねりまくる蛸を見つめる観衆の中から
「生きているみたい」
との声が聞こえてきました。
生きているみたい……
生きていることと死んでいることの境界線ってなんだろう…
こんなに力強く蠢いているのに、なぜ生きていないと言えるのだろう…
私達の生死の概念が変われば、
この蛸が死んだ瞬間がいつなのかも
変わるのだろうな…と思いました。
そしてお刺身になったタコは
私達に食べられて
私達の血肉となり
こうしてブログを書くエネルギーになっている。
そう考えると
私も蛸もひとつの同じもので
このブログも私も蛸もひとつの同じものだなと感じます。
この範囲をどんどん広げていけば
まさに「すべてはひとつ」そのものだなと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。